大学院1年生の9月、東北大学で開催されたある国際会議に参加したことが、私の留学の原点になりました。
大学四年間のアメフトを終え、機械系の伝統に則り大学院(医工学研究科)へ進学したのは、単に就活に役に立つだろうという程度の動機でした。
大学一年の夏、他の誰とも同じように夏季インターン(〇〇〇メディカル)を終えたころ、東北大学で「シリコンバレー医療機器イノベーションエコシステム会議」が行われ、授業の一環で参加し、私はあまりに生き生きと医療機器開発を語る人たちに圧倒されました。
彼らと我々とは何が違うのか。何があなたたちの目をそこまで輝かせるのか。
この目で見てきたい、体験してきたい。
こうして、シリコンバレーに関係の深い大学(スタンフォード・カリフォルニア大学バークレー校)への博士留学の計画(約7年)が立ちました。カリフォルニア大学バークレー校への1年間の研究留学は、動機以外の何も持たない私が取った、最初のステップでした。
手段:Visiting Student Researcher (大学院生の交換留学)
財源:トビタテ3期
留学を思い立った時、成績も語学もコネも金もない私は、手段と財源を探し、最終的には交換留学の枠を利用し、トビタテの採用を目指しました。どうしようもない英語を何とかするために、別の機会を利用してカリフォルニア大学デイビス校へ留学し(一か月)、デイビスでの成績を元に先生方へアプローチしました。
正直、留学が実現する確率は奇跡に近いものと思っていました。周りでバークレーに留学している人は、帰国子女か研究室の協働がほとんどでしたから。しかしどれだけ不確実性を見つめても、バークレーに行きたい気持ちは消えませんでした。
研究:バクテリアファージナノファイバーの生成
元々いたところと関係のない研究室だったので、研究内容も全く関連がありません。それが故か否か、成果を出すことも並大抵ではありませんでした。バクテリアファージとは新しく開発されつつある生体材料であり、私はそれをナノファイバー(すっごくすっごく細い繊維)に加工する技術を開発しました。しかし僅かでも成果が出たのは、留学開始から7か月ほどたってから、論文を投稿するまでまるまる12か月かかりました。
---特に苦労したこと---
英語:言葉の上手く伝えられない状況で研究するのは大変でしたが、だからこそものすごく勉強し、ラボの皆にも認めてもらえました。
研究内容:与えられたテーマは本当に私の知らない内容でした。でもだからこそ、生化学系の研究室で私が機械系としてできることを見つけることも出来ました。全く違う分野に行ったからこそ、ラボに必要な存在になれたんだと思います。
#留学したいだけの人の計画づくり
---大体みんなそうだよね!
#留学先探し
---学びたいことから考えよう!
#英語の克服
---最大の壁かもしれませんね
#いい感じの書類作成方法
---文章書くのは慣れています
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